腸チフス

 I 臨床的特徴

 1.症状 階段状上昇、稽留、弛張と続く特異な熱型(ただし下熱剤を使用すると弛張する)、比較的除脈、バラ疹、脾腫、便秘、ときには下痢、鼓腸などの症状で特徴づけられる全身性感染症である。回腸のパイエル板に特有な病変を生じ、その潰瘍形成期(第3病週)に腸出血、腸穿孔が起こることがある。重症例は意識障害を来し、無欲な顔貌を呈し、難聴の起こることがある。現在は重症者が少なく、かつ抗菌薬が奏効するのでほとんど死亡するものはない。GOT、 GPT、 LDHの中等度上昇と白血球減少を伴う不明熱例では、まず本症を疑わなければならない。

 チフス菌は、病初には末梢血ならびに骨髄血に証明されるが、2病週以後には便、ときに尿に出現するo尿に排菌する場合には、尿中に白血球そのほかの病的所見を伴うのが常である。胆汁の菌陽性率が最も高い。ウィダール反応は、最近抗体価の上昇が一般に低く、診断的価値は往時に比べて低くなった。

 2.病原体 チフス。Viファージにより106型に分類されている。

 3.検査 血液よりの菌証明には、カルチャーボトルまたは胆汁増菌を用いる。便よりの分離には、SS寒天培地などの分離培地に直接塗抹すると同時に、セレナイトF培地による増菌を試みる。尿についても、増菌してから分離培地に植える。

 ウィダール反応は、値の著明な上昇が見られた場合のみ診断の参考になり得る。

 II 疫学的特徴

 1.発生状況 世界各地、特に日本を除くアジア、東南アジア、中東、東欧、中南米、アフリカの各国に蔓延している。わが国では、昭和の初めから終戦直後まで年間4万人前後の発生を見ていたが、その後年々減少し、 1962年(昭37)以降1.000人以下となり、76年以降300人以下、87年以降は100人台に減少した。かつての約1/500である。また輸入例も次第に増加し40%前後となった。

 2.感染源 チフス菌感染はヒトに限って起こる。したがって、病原巣はヒトであり、患者および保菌者の糞便と尿ならびにそれらで汚染された食品、水、手指が感染源である。保菌者は、わが国においてはほとんどが胆嚢内保菌者であり、胆石保有者または慢性胆嚢炎に合併することが多く永続保菌者となる。中年以後の女性の占める割合が高い。尿保菌者は、例えばアフリカにおけるビルハルツ住血吸虫症の患者のように、腎障害を有するものがなりやすい。

 3.伝播様式 患者および保菌者の便または尿によって汚染された水あるいは飲食物を介して、また患者または保菌者からの接触感染(hand to mouth}によっても起こり得る。感染菌量は、ほかのサルモネラによる胃腸炎に比べてはるかに少量でも発病するとされているo食物のうちでは、特にカキなどの貝類の生食、豆腐、サラダなどが原因食となった例が多い。

 4.潜伏期 1~3週間。摂取菌量が大であれば潜伏期は短縮し、数日でも発病し得る。

 5.伝染期間 菌が排泄物に出現する期間。患者の便は、2病週以後回復期に至るまでまちまちであり、治療にも当然影響される。発病後3か月後も排菌を見る例が約10%あるといわれる。2~3%の患者は長期保菌者になるとされている。

 6.ヒトの感受性 感受性は一般的であるが、胃の無酸症があるヒトは感受性が高くなる。本症回復後は抵抗性を持つのが普通であるが、不顕性感染によってもある程度の抵抗力ができる。流行地では、発病率が年齢とともに低下する。

 Ⅲ 予防対策

 A 方針

 環境衛生の改善と永続保菌者の監視に重点を置くこと。

 1.公共上水道の保護、浄化および塩素滅菌。私的給水設備を安全な構造にすること。井戸水の衛生的管理の指導。

 2.屎尿の衛生的廃棄方法を講ずる。

 3.牛乳、乳製品の衛生的管理o

 4.貝類の仕入、販売の衛生的処理。

 5.食品衛生監視の強化、特に手洗いの設備や使用の徹底、防ハエのための設備など。

 6.環境衛生監視の強化。

 7.病後回復者に対しては、退院後6か月間は毎月1回、その後必要に応して健康診断を行う。患者管理カードの作成。

 8.病原体保有者に対しては食品の取り扱いを禁止し、治療、指導の徹底、食品取扱業務への従業禁止。在宅者に対する指導は、伝染病予防法施行規則第11条による。

 9.永続排菌者に対し根治手術の勧奨。

 10.衛生教育の普及を図る。

 11.予防接種 腸チフスの予防接種は、パラチフスとともに腸パラ混合ワクチンが、予防接種法の指定する予防接種として長期間成人1年1回のワクチン接種が行われてきたが、 1976年予防接種法の改正によって削除された。

 最近スイス・ベルンの血清ワクチン研究所のGermanier、 R.が特異な変異株を用いたチフス生菌経ロワクチンについて発表した。その有用かつ有効性が各方面で認められ、米国では155人の有志に3-10×1010生菌数を含むワクチン5~8回投与されたが、何ら副作用はなく、かつ防御効果のあることが認められた。エジプト・アレキサンドリアでは、6~7歳の児童32、388人を対象とした野外実験でも有意な防御効果が認められた。チリにおいても1980年、 338人の学童に経口投与を試みられ、有効であった。

 安定した変異株である本菌株はVi抗原を産生しないから、Vi血清では凝集しない。

 B 防疫

 1.伝染病予防法による患者の届出と隔離、消毒。

 2.厚生省は都道府県に対して、 1966年11月16日、腸チフス対策の推進について(衛発788号)を発し1)患者管理カードの作成、2)分離菌株のファージ型別検査のため国立予防衛生研究所へ送付する、3)退院後は毎月1回6か月間の追求検便を求めている。

 3.保菌者に対しては、在宅の場合予防上必要な措置を行い、予防知識を与えるとともに、管理カードに従って十分指導を行い、ほかに蔓延することを防止しなければならない。

 4.行動制限 家族内接触者が食品取扱者の場合は培養を繰り返して菌陰性が確認されるまで就業を禁止する。

 5.疫学調査により共通感染源を見いだし、適切な防疫対策を推進する。チフス菌のファージ型が感染経路追求に重要である。

 6.特異療法 ニューキノロンとクロラムフェニコール(CP)が有効である。中毒症状の著明な重症例に対するステロイド剤の短期使用は有用である。胆嚢保菌者の場合は、胆道、胆嚢の異常の有無を検査し、異常のある場合は、胆嚢切除が必要となる。しかし胆嚢を切除しても除菌されない例も存在する。保存的療法にはCPは効果が見られず、 ABPCの4~12週にわたる投与を試みることもあるが胆石保有者に対しては無効である。

 1976年からCPを含む多剤耐性チフス菌がわが国でも分離された。耐性チフス菌による患者に対しては、ニューキノロン製剤が奏効する。常用量を下熱後も10日~2週間投与するが、標準投与法については指定都市立伝染病院グループで検討中である。

 C 流行時対策

 わが国の発生数は減少の一途をたどってはきたが、いまだにまれではあるが各地に集団発生が見られ、交通機関の発達、物資流通機構の拡大、冷凍食品の普及などによって、単一感染源から広範囲な地域に流行の発生する可能性が増大している。散発患者についての疫学調査を十分に行い、流行を未然に防止することが重要である。