高齢者が大学院で再教育を受ける時代

福祉や医療の分野でも、これからは国民の中の優秀な人材が問題を発見し、創造的に解決していかねばなりません。日本では、たとえ優秀な人材がいても、その才能を伸ばして、さらに優秀な人材にするような高等教育や生涯教育のシステムが発展してきませんでしたし、いったん社会に出た人が、中高年になってから大学院に入って実用知識を身に付けるための再教育を受け、学位を取得し、社会に役立つ人材として、さらに新たな、または高度な分野で活躍でき、収入が増えるような雇用システムや資本体系もありませんでした。
日本人は大学を卒業して社会に出たら、それ以上教育を受けることがないのが今までは普通でした。しかし、これからの時代は、優秀になりたい人は社会人になってからでも自分のお金で大学院に行き、大学院を出た人は学部卒の人より優秀であり賢いと評価され、給与も学部卒の人より高いというふうに変わらなければならないと思います。大学院に行くというのも、単に形だけ行くのではなく、実社会ですぐに役に立つ勉強をし、役に立つ資格を新たに取得するために行くのです。そうした資格を今まで持っていなかった人が仕事を続けながら、夜間あるいは週末に通学して福祉の資格を取り、福祉の現場で働くなどです。
1963年に制定された老人福祉法は、高齢者に関する単独の法律としては世界初のものと言われていますが、その当時の高齢者とは60歳以上の人を指していました。今では60歳と言えばまだまだ働き盛りです。60歳で定年を迎えたヒト、あるいは定年まじかで退職した人などは時間の余裕があり、まだまだ元気も知識欲もありますから、大学・大学院に入り直して再教育を受け、再就職して所得を得たいという意欲のある方が大勢います。私の知人が経営している学校でも一流企業で何十年もサラリーマンをしてきた60歳以上の職員を何人か新規に採用しましたが、その方々は長い人生経験を生かし、生き生きと働いています。
日本では、大学を卒業した後の勉強は職場での研修という形しかありませんでした。職場での研修には限界がありますし、企業では、社会福祉などの異なる分野の専門家になるための訓練などはもちろんしてくれません。そこで社会人向けの大学・大学院へ行く意義があるわけです。これから有望な分野としては新たにコンピュータ関係を勉強するのもいいかもしれませんが、専門家としてコンピュータの技術を活かそうとしたら、中高年層は指もうまく動きませんし、英文でコンピュータを操作して世界中の新たな情報を手に入れる技術は、若い人には到底かなわないでしょう。しかし、福祉の分野には中高年層の人々が、長い人生経験を生かして福祉施設の施設長などとして活躍する場があるのです。
ところで、いわゆるリストラに遭って職を失った人、あるいはリストラに遭わないまでも中途退職して大学院に入り直そうとする人々はどういう分野に向かうのでしょうか。今まで企業戦士だった人が全く畑違いの福祉の分野へ進むというのは不安があるようで、結局、今までやってきたのと同じような方面の勉強をします。経済界で働いてきた人がその延長戦で経済関連の大学院に入り、年を取ってから税理士などの資格をとっても、実際のところ、新たな顧客を開拓できず、仕事がないのが現状です。
経済界で豊富な社会経験を持つ人は、なかなか福祉の方面には目を向けません。
しかし、これからは福祉や教育の分野でも経営感覚を持ち、合理的発想のできる人、原価収支計算のできる人が必要です。限られた社会資源、人材、予算を活用して、最大限の効果を上げるためには、そうした経営感覚を持った人材が福祉や教育の分野にも必要です。さもないと、大金を投じて立派な福祉施設を建てても、税金の無駄遣いになりかねません。
今までの日本の大学・大学院では、卒業してからすぐに社会の役に立つ実用的な勉強は高級な学問ではない、質の低いものだと誤解され、そう思われがちでしたが、そのような発想を改め、福祉系の大学院をもっと実用的に充実させないと、福祉の分野に優秀な人材流行ってこないし、日本の福祉の未来は暗いでしょう。