コミュニティ論を基準とする言語サービス

言語サービスの一環として、公共の掲示板や案内板の多言語状況を検証してみます。そこで香川県の200ヶ所の表示を調べてみました。その結果見出したのは、3ヵ国語(英語、中国語、韓国語)による表示がありさえすれば最高の国際的レベルでの表示をしているということでした。

このような施策をとるに至った理由は国の外国人旅行者調査(JUNT国際観光白書)による分析や統計に基づいたことによります。つまり、訪日観光客の64%がアジア人であり、ついで約20%が北米からの訪問者であるという事実をそのまま県レベルに適応したのです。その際、県独自の観光客の動向を考慮したと思われます。その結果、英語、中国語、韓国語の翻訳に落ち着いたというのが香川県の掲示板などにみる言語状況でした。

そこには言語政策立案に際し、地方と国とのレベルの相違が十分考慮されたという形跡は薄いです。通常、言語政策といえば国語や標準語の制定、公用語の指定やバイリンガル政策の策定など、国家による政策が考えられます。たとえば、現代の国民国家ではそれぞれのお国事情に合わせ、移民に国家語を強いたり、各民族を纏め上げるために公用語を指定したりします。これらは皆、国家による上からの政策です。

このような国民国家型言語政策で論じられている多言語サービスの言語政策を、言語政策の主体、対象者、政策領域など、いくつかの項目に着目し、その違いを明らかにする必要があります。そして二つの言語政策の最も大きな違いは、言語政策が誰のために行われるのかという対象者の違いである、と指摘し、多言語サービスを行うということは、一つの社会の中で異なった多くの話者がいるということを認めたうえで、そのことによって不利益をこうむらないような言語のシステムを形成すべきと考えられます。

確かにこの観察は間違っていません。しかし、必ずしも論拠が十分であるとは思えません。今、仮に、一つの社会を国に置き換えたらどうなるでしょうか。国も立派な社会の一つの社会なのですから国家が採る国民国家型の言語政策とここで取り上げている言語サービスもともに、共通の対象者を持つことになってしまいます。そうではなく、一つの社会をコミュニティに置き換えるのです。そしてその論拠をコミュニティ論に求めるのです。その立場から、従来の言語政策立案にまつわる諸条件を考えるのです。そうすることで言語政策としての翻訳サービスの位置づけが明確になります。