嫌悪や苦痛が人から人に伝染する仕組み


人間に関してたっぷり研究されてきた二つの情動状態は嫌悪感と苦痛(「オエッ」と「イタッ」)です。

ある被験者のグループが、人が匂いを嗅いでいるビデオを見せられました。匂いは胸が悪くなるようなもの、気持ちの良いもの、そのどちらでもないものとさまざまで、被験者がビデオを見ている間、彼らの脳を機能的磁気共鳴画像法(rMRI)でスキャンしました。次に今度は被験者が一人一人、同じようにさまざまな匂いを嗅ぎました。その結果、嫌悪感をあらわす表情をビデオで観察しているときと、不快な匂いによって喚起された嫌悪感を経験しているときの両方で、脳の同じ領域(左前島と右前帯状回皮質)が自動的に活性化することがわかりました。これは、誰かほかの人の嫌悪の表情を理解するときには、それと同じ情動を経験しているときに通常活性化するのと同じ脳の部位の活性化を伴うことを示唆しています。

島は他の経路でも活性化します。味覚刺激にも反応するのです。つまり気持ちの悪い匂いだけでなく、気持ちの悪い味にも反応します。神経外科治療の間に前島に電気刺激を与えると、吐き気や今にも嘔吐しそうな感覚、内臓運動(あの、もどしそうになる感じのこと)、喉と口の不快感が起きます。つまり、実際に胸の悪くなる匂いや風味を近くしたか、単に他の誰かの表情を観察しただけかにかかわらず、前島は不快な感覚入力を、人が嫌悪感を抱いたときに経験する内臓運動反応とそれに伴う身体的な感覚に変換するプロセスに関わっています。

というわけでは、少なくとも嫌悪感に関しては、この情動を誰かほかの人が表情に出しているのを見るときや、自分自身の内臓反応が起きたとき、あるいは自ら嫌悪感を覚えた時に活性化する脳の共通領域が存在します。こじんまりとまとまった、脳のパッケージというわけです。腐りかけた牛乳のにおいをかいだ奥さんの嫌悪の表情を目にすると、あなた自身の嫌悪感が活性化します。幸い、あなた自身はそのにおいを嗅がずに済む、これには明らかに進化上の利点があります。腐りかけたガゼルの肉にかじりついた仲間が、頭をしかめる、それを見たあなたは、その肉を試すまでもありません。おもしろいことに、良い香りに関しては同じことが当てはまりませんでした。良い香りは右の島の後部だけを活性化します。ご存じのとおり、不快なにおいをかいだ時のような内臓反応運動は起きません。

苦痛もやはり共有できる経験のようです。映画『マラソンマン』の拷問の場面に、私たちは震え上がりました。人間の脳には、苦痛を観察するときにも経験するときにも反応する領域があります。数組のカップルを使った実験で、カップルの一方の手に電気的ショックを与え、もう一方がそれを観察している間に両方の脳をfMRIでスキャンした。脳内で痛み系を形成している領域間には解剖学的な関連があります。各領域は独立して機能しているのではなく、密接に相互作用しています。しかし感覚的な痛みの知覚(ああ、痛い!)と、情動的な苦痛の知覚、たとえば痛みを予感とそこから生まれる不安(きっと痛いだろうことはわかっている。もう、さっさと終わればいいのに。ああ、いったいいつ痛みがやってくるのだろう)とは別のようです。脳スキャンによると、苦痛の観察者と受け手の両方で、苦痛の情動的な近くによって活性化する脳の部位に活動がみられましたが、感覚的な経験によって活性化する領域での活動は、受け手のほうにしか見られませんでした。これは良いことです。大腿骨を折って固定してもらっているときに、手当てをする医療補助者自身にも麻酔が必要になるのなどごめんでしょう。ただ、痛む足を易しく扱ってもらえればいいのです。彼には足の痛みを理解してほしいですが、自分も動けなくなるほど痛みを感じてほしいわけではありません。

自分の苦痛を予期する場合でも他者の苦痛を予期する場合でも、脳内の同じ領域が使われているのは明らかです。痛ましい状況にある人の写真を見ると、苦痛の情動的な評価で活性化する領域で脳活動がやはり活発になりますが、実際の痛みの感覚によって活性化する領域では、脳活動は活発になりません。直接感じる苦痛と他者の立場で感じる苦痛の両方の情動的な評価には、同じニューロンが介在する証拠があります。まれなケースですが、帯状回の一部を取り除かれた患者に局所麻酔をかけ、微小電極を使ってニューロンのテストをした例があります。すると、痛みを伴う刺激を経験する場合も、それを予期または観察する場合も、前帯状回の同じニューロンが発火しました。これは、他社の情動を観察すると、その情動を経験したのとある程度までは同じ脳活動が自動的に起きることを示しています。

このような知見は、共感という情動に対してとても興味深い意味を持ちます。共感の定義に関して長々と紹介するのは控えますが、少なくとも、共感を覚えるとは、他社から伝わる情動的な情報を正確にとらえ、意識し、気遣うことができるという意味である点は衆目の一致するところだと思います。他者の状態を気に掛けるのは利他的な行動ですが、正確な情報なしには起きえません。もし私があなたの情動を正確に感知できず、実際は痛みに耐えているのに吐き気を催していると思ったら、鎮痛剤の代わりに吐き気止めの座薬を渡すような、不適切な対応をしてしまうでしょう。

カップルを対象に苦痛の研究を行ったユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンのタニア・シンガーらは、苦痛と関連した脳活動が人より盛んな観察者はより共感的なのだろうかと考えました(あなたもそう思うかもしれません)。そこでカップルに対して、情動的な共感と共感に基づく関心の度合いを評価する標準テストを行いました。果たして、一般的共感の尺度で長い値を示した人は、自分のパートナー苦痛を感じているのを近くしたときに活発になる脳の部位が、より盛んな活動を示しました。また自分がどれほど共感的な人間なのかという評価と、脳の中心近くの領域である帯状回の活動足部の活動状態にも相関関係がありました。さらに、痛ましい状況の写真を見せるという二つ目の研究でも、写真を見た人の前帯状回の活動は、他社の苦痛の評価と強い相関関係を示しました。脳活動が盛んであればあるほど苦痛に対する評価が低く、脳のこの領域での活動は、他社の苦痛に対する被験者の反応度によって変化するということでしょう。

嫌悪感と苦痛の研究は、これらの情動シミュレーションが自動的に行われることを示唆しています。しかし、まず情動のシミュレーションが行われて、そのあとに自動的・身体的な真似が続くのか、自動的なまねの後に情動が続くのかという疑問は残ります。腐りかけた牛乳の匂いを嗅いだ奥さんの表情を見たら、あなたは自動的に奥さんの表情をまねて、それから嫌悪感を覚えるのか、それとも奥さんの嫌悪の表情を見てあなた自身も嫌悪感を覚え、そして自動的に不快な顔をするのか、この特定の事例における、ニワトリが先か卵が先かという問題は、未解決のままです。