HIV訴訟の本質は殺人罪
「両親をこんな目にあわせた帝京大学付属病院。そしてそこに血液製剤を送り込んでいた製薬会社、それを放置していた国を、許せない」iこれは今日の東京HIV訴訟に提出された一〇代の少女の陳述書である。
この少女は、今日だけは学校を休み、初めて自分の父親が法廷に立ち、証人尋問を受ける様子を見守った。少女の父親は血友病患者である。治療薬として帝京大学付属病院で安部英教授以下、風問睦美医師らに非加熱濃縮製剤を処方されてHIVに感染していった。
今は四〇代のこの父親は、元気な頃は朝八時に工場に出て、夜は九時、一〇時まで働く頑張りやたった。だがその父親に従業員一〇〇人の工場の工場長を務めたときの面影はもはやない。父親は証言する。
「私が自分の感染を知ったのは、思いもかけないところからでした。国会の労働委員会の議事録なのです。
私は仕事中に骨折して、帝京大に入院しました。しかし、ただ寝かされて安静にしておくようにといわれるばかりで治療はしてもらえませんでした。
骨折した足はなおらず月日だけが過ぎていきました。労災の認定を受けたいと思い申請しましたが、血友病患者というだけではダメだといわれました。それで地元の議員に頼み再度申請しました。子供二人と妻を養うためにも労災認定をしてもらうことが重要だったのです。
するとこの話はなんと国会まで上げられたのです。その国会の調査で私のエイズ感染がわかり、労働委員会で報告されました。
私にとっては青天の霹靂。私は直ちに帝京大に電話して尋ねました。
医師はたった二言、いいましたI『実はそうだったんだよ』と。でも謝罪の言葉も慰めの言葉もありませんでした」
父親は後にようやく気付いたのだ。なぜ帝京大が素人目にも手術が必要だと思われていた骨折の足を手術してくれなかったかを。HIV感染者に手術を施すことで、医師たちが二次感染することを恐れたのである。父親は骨折した足をそのままにして自宅に戻され、寝たきりで。普通の生活”をするようにいかれた。寝たきりの足の骨はさらにもろくなり、再度足は折れた。
「折れるというより骨がくずれるという感じでした」と父親は訴える。
そして新たな悲劇も生じていた。彼の妻、少女の母親にも二次感染していたのだ。
妻は訴えた。
「私は神を恨みました。血友病のため健常人のように走り回ったりできない夫が、骨折のあげくHIVにまで感染していたのですから。
それだけでも十分すぎるほどの仕打ちなのに、私まで感染していたなんて。人はいつかは命が尽きることがあるといっても、HIV感染は人の手による犯罪なのですから、諦め切れません。万一の場合、娘たちはどうしたらよいのでしょうか」
法廷内は静まり返り、傍聴人の中には目頭を押さえる人もいた。
今日の法廷にはもう」人、二〇歳になったばかりの青年も証人として出廷した。両親の愛情をいっぱいに受けて育ったことを感じさせる優しい面影のこの青年はいった。
「人を愛するというか、結婚のことなどはつとめて考えないようにしています。僕の場合、自分に残された時間が短いということがあります。後に残される人のことを考えると、結婚はしないほうがよいと思います。
それに深い付き合いをするということは、殺人行為だと思うので考えないようにしています」
弁護士が「ウイルスをうつすことが殺人行為と思うので考えないようにしているのですか」と尋ねると、青年は「そうです」と答えた。
傍聴席で隣に座っていた青年の父が鳴咽を漏らしかけ、奥歯をかみしめて辛うじてこらえた。この青年をはじめ二〇〇〇人に上る血友病患者を感染させた非加熱濃縮製剤、その輸入にかかかった製薬メーカーも厚生省も、訴えられているのは民事裁判である。が、その本質は、“殺人罪″に聞かれているのだということを自覚すべきである。