ミドリ十字の懲りない体質

 「私どもは、決して虚偽の報告をしたとは思っていません。当時どういう判断でどういう数字をもっていたのか精査すると、虚偽の報告をしたという証明はできません」

 

 大阪ミドリ十字の本社で行なわれた記者会見で専務の西田正行氏はマイクを握りしめてこう述べた。

 

 だが、ミドリ十字が厚生省に、HIVに汚染されている危険性のある非加熱濃縮製剤の回収時期として報告していた時期は、実際より一年も早く、同時に危険な非加熱濃縮製剤の出荷最終時期もまた実際よりずっと早く報告されていた。危険な製剤の出荷を早めに止め、早めに終了したと報告していたのが、事実は正反対で一九八六年の年末まで出荷を続けたということだ。

 

 危険な非加熱濃縮製剤の代わりに安全な加熱濃縮製剤が承認されたのが、八五年七月で

あるから、その日から二年間も、ミドリト字はHIV感染を広げる危険を承知のうえで、非加熱濃縮製剤を売り続けていたことになる。

 

 会見を聞けば聞くほど、どこまでも営利を優先させ、結果として人命軽視の極地にいたって、なお恥じないミドリ十字の懲りない体質がみえてくる。いくつかミドリ十字側のコメントを紹介しよう。

 

 会見で、ミドリ十字の報告は虚偽ではないと主張した西田専務に質間がとんだ。

 

 虚偽ではないということは、どういう意味ですか。

 

 「基本的にいわゆる虚偽というのではなく、非常に不十分な報告であったといえるのではないでしょうか」

 

 -結果的にやはり偽りなのではないですか。

 

 「当時非加熱濃縮製剤にグリスマシンという名前のものがありました。これを加熱したものにHT(加熱)の二文字をつけていました。ですから加熱も非加熱も、名前が基本的に同じでまぎらわしかったのです。『グリスマシン』と『グリスマシンHT』ですから。おまけに価格も同じでした。そのうえ非常に数も件数も多かったのです」

 

 驚くべき態度である。仮にも製薬会社の人間が、名前が似ているので、両方の薬の見分けがつかず、それが誤った報告書作成につながっていきましたといっているのである。

 

 血液製剤が加熱されているか否かは、当時も今も、即、命にかかかる最車要事である。HTの二文字がついているか否かは、生か死かの間題である。まぎらわしかったので、間違って出荷しました。あるいは間違って記載して報告してしまいましたという性格のものではないはずである。

 

 こんなことを専務たる人物が記者会見で恥ずることなく公表するミドリ十字の体質とは一体なんかのだ。危険な製薬を八七年近くまで出荷し続けていたことについて「あまりにもいい加減ではないか」と追及されると、西田専務はこう述べた。

 

 「加熱濃縮製剤の発売当初から十分な量が確保されていれば、そうはならなかった。非加熱を

 

 一部流通させざるを得なかったという事情が根本にあります」

 

 「当時の状況については、担当者の記憶が実にうすれています。頭からうすれたり脱けおちたりして、解明できないのです。御理解いただくしかありません」

 

 ミドリ十字白身が解明できないことを、社外の人間に、または患者にどう「理解しろ」というのか、理解し難い。

 

 だがもう一つ理解し難いのは、彼らのいう「回収」の意味である。回収とは自ら行動をおこして出荷したものを再び引き取ることである。だがミドリ十字のいう回収の終了は「返品がなくなった時期」のことなのだそうだ。つまり、ミドリ十字は常識で考える回収作業などまったく行なわず、危険な製剤を「放置」していたということだ。この企業の徹底調査が必要だと確信するゆえんである。

 

 その後、新進党山本孝史議員の質間趣意書に対する厚生省の答弁書で一九八五年七月に承認された加熱濃縮製剤の検定結果では、その量は二三〇〇万単位に達していたことが、明らかになった。これは当時の必要量の二倍以上であり、日本には必要量を補うのに十分な加熱濃縮製剤があったことを示している。ミドリ十字は、十分な量の加熱濃縮製剤がなかったために止むなく非加熱濃縮製剤に頼ったという点を口実として用いていた。ミドリ十字の真っ赤な嘘である。ミドリ十字が非加熱濃縮製剤を出荷し続けたのは、やはり、在庫処理のためだった。改めて怒りを感じざるを得ない。