厚生官僚の大逆襲

 日本にエイズ研究班が設置された一九八三年、研究班班長安部氏の患者は安部氏の強力な主張にもかかわらず、なぜエイズ患者だと認められなかったのか。厚生省エイズ調査検討員会は、二年後の八五年三月に、なぜアメリカ在住の同性愛者を日本で初めてのエイズ患者と認定したのか。同委員会はなぜ、さらに二ヵ月後の八五年五月に、いったんは否定した安部氏の患者を一転してエイズ患者と認めたのか。

 

 つまり厚生省は安部氏の血友病患者を結局はエイズ患者と認めながら、なぜこの患者よりもあとに出てきた同性愛の男性をエイズ患者第言万と認定したのか。理由は薬害エイズを隠すためだったのではないか。

 

 ぬぐってもぬぐっても消えないこの疑惑が先に国会でとりあげられ、厚生省エイズサーベイランス委員会が改めて、当時の認定は正しかったのか検討し直した。だが、驚くべきことに、当時の判断は「妥当」だったとの結論が再び出された。

 

 しかし、同委員会の山崎修道委員長(国立予防衛生研究所長)も、島田馨委員(専売病院院長)も、山田兼雄委員(聖マリアンナ医科人学教授)も、安部氏の血友病患者のほうが、順天堂人学の同性愛の患者よりも、エイズの発症は先であり、その意味では第一号患者は安部氏の患者であることについて議論の余地はないと述べた。

 

 それなのになぜ、同性愛の男性を言万患者とした八五年の判断が正しかったと結論されたのか。この疑間を追っていくとみえてくるのが、巧妙に仕組まれたトリックである。仕掛けだのは厚生官僚だ。その意味するところは、厚生官僚の大逆襲が始まったという事実である。

 

 サーベイランス委員会の山崎委員長は述べた1「厚生省からわれわれに課されたのは八五年の判定が当時の基準に基づいて正しく行なわれていたか否かを検討することでした。

 

 厳密に当時の医学的基準でみれば、安部先生の患者も順天堂大学の同性愛の患者もエイズだったという判断は正しかったと思います。ただ、世問でいかれているように、症例としては明らかに古い安部先生の患者がなぜもう一方の患者よりも前に、発表されなかったのかについては、疑問が残ります。

 

 しかしご理解いただきたいのは、その疑間を解くこと、つまり犯人探しは私たち科学者のやることではないということです」

 

 一方、今回の調査を担当した厚乍省エイズ結核感染症課の岩尾總一郎課長は、次のように述べた。

 

「国会で質されたのは『順天堂大学の症例(同性愛の患者)の見直しはしないのか』という点でした。ですから当時委員会に提出報告された症例を、安部先生の患者のぶんまで再検討した。委員の先生方は、当時の判断は医学的に問違っていなかったという判断をしたわけです」

 

 岩尾課長も各委員も『医学的判断』の正否を軸に今回の見直し作業は行なわれたと述べるが、厚生省に聞かれているのがそれだけではないのは明らかだ。

 

 安部氏の患者の存在について、厚生省は八三年六月のエイズ研究班で報告を受けていた。厚生省はこの時点で同患者のHIV感染を否定したが、八四年九月にはアメリカのギャロ博士が安部氏の患者四八名の血清の抗体検査を行ない、そのうち二三名が陽性、つまりHIVに感染していると判定した。ギャロ博士はエイズウイルスの権威として世界的に著名な学者である。鳥取大の栗村教授も同様の検査結果を出し、大変なことだと考え、八四年一月二八日、仕事納めの日に厚生省に伝えた。八五年一月三一日に厚生省主催の会議で再び梨村報告が行なわれたことなどは、すでに事実として確認されている。

 

 少なくともこれだけの事実によって安部氏の血友病患者のエイズ感染が確認されているのだ。にもかかわらず八五年三月、厚生省は日本のエイズ1号患者はアメリカ在住の日本人同性愛の男性だと公表した。そして今回で再び当時の判断は正しかったとの報告を出させた。

 

 「学問的判断の正否」などの美辞を掲げつつ、厚生省は薬害エイズ隠しで開き直った。

 

 これすなわち、新党問題で頭がいっぱいの菅大臣の足下を見すかした官僚たちの逆襲である。