厚生省は知っていた

 九七年五月二八日、東京地裁一〇四号室で厚生省薬務局生物製剤課の元課長、松村明仁氏の刑事公判が行なわれた。「HTIVに汚染された非加熱濃縮製剤を、加熱濃縮製剤が導入されてからも回収命令を出さずに販売を放置していた。それによって少なくとも二人の患者をHIVに感染させ死亡させた」として業務上過失致死罪に聞かれている裁判だ。

 

 松村氏も厚生省も、八五年に加熱濃縮製剤を導入する前は、非加熱濃縮製剤の危険性の予見は困難だったと主張している。また、HIVに感染しても必ず発症するのか否かも定かではない、ウイルスに感染することが発症して命をおとすことにつながるとは必ずしも考えられなかった、との主張だ。

 

 だが、今回出廷した検察側の初めての証人は、そのような松村氏側の主張をことごとく鮮やかに否定した。証人は栗村敬氏、大阪大学名誉教授で日本のウイルス感染症研究の第一人者の一人である。栗村教授は八四年、国内の学者としていち早くエイズウイルスの抗体検査を手がけて成功した学者でもある。

 

 氏は八四年一一月までに国内の血友病患者にHIV感染者がいることを突きとめ、この結果を厚生省主催の京大ウイルス研究所で開かれたエイズ分科会で発表した。内容は血友病患者二七人分の血液検体から六人の抗体陽性者がみつかったこと、一方、非血友病患者一一〇人の全員が抗体は陰性であったことを柱としていた。

 

 栗村氏は「これほど早く日本に抗体陽性者(感染者)が出てきたことに驚いた。血友病患者ではない人々、つまり一般人には感染者はいない一方で、血友病患者は二七人中六人が陽性で感染率の高いことにも驚いた」と証言した。

 

 氏はその後、帝京大安部英副学長の血友病患者の血液サンプルもとりよせ抗体検査を行なった。安部氏の患者四八人分の血液はこの年の夏すでにアメリカで抗体検査されて、半分近くがHIVに感染していたとの結果が安部氏の元に届いていた。

 

 栗村氏が安部氏の患者らの検体を調べたところ、氏の検杏法による結果もアメリカでの検査の結果と一致した。安部氏との連絡を通じて結果を確認した梨村氏は「日本に多くの感染者がいる事実を、自分だけで背負うのは責任が重い、感染者の存在を伝えることで早く手を打ってほしい」と考え、直ちに厚生省に電話で報告したという。八四年一月二八日、お役所の御用納めの日の昼過ぎのことだった。

 

 翌八五年一月末日までに氏はさらに対象を広げて多くの血友病患者および非血友病患者の。血液を検査した。

 

 それによると、血友病患者ではない一般人の全員が抗体は陰性、ホモセクシュアルの男性五三人も全員陰性、病気で輸血をたびたび受ける頻回輸血者二九人も全員が陰性だった。一方血友病患者だけがおよそ三〇%の割合でHIVに抗体陽性、つまり感染していた。この結果により、あらためで日本のHIV感染者は血友病患者にかぎれていること、ハイリスクグループの同性愛者にも、高い頻度で輸血を受けている人々にも、HIV感染者はいないことが確認された。日本のエイズ血友病患者が投与されている非加熱濃縮製剤が原因であることをくっきりと浮かびあがらせた統計である。栗村氏はこの結果を厚生省エイズ診断基準小委員会で発表した。

 

 重要なことは、八四年一一月の研究発表後、栗村氏は厚生省から研究費の支給を受け始めたという点だ。つまり、より対象を広げて調査した資金は厚生省から出ており、その研究戊果は厚生省の委員会で発表したということだ。被告となっている松村課長もその席で結果を間いていたのだ。

 

 栗村氏は「日本のHIV感染者は血友病患者のみ。感染源は彼らの使用しているアメリカの血液でつくられた非加熱濃縮製剤であることが特定された。したがって、直ちに非加熱濃縮製剤の使用をやめさせるべきだというのが私のデータの結論だった」と証言した。

 

 厚生省も松村氏も、自らが支えた研究の結果としての警告を無視していたことになる。これでは今、松村氏が間われている不作為の罪ではなく、まさに、作為の罪である。

 

 もう一つ、感染しても発症率は低いと思われたという主張について、栗村氏は「そのような主張の科学的根拠はなにもなかった」と一言の下に否定した。「むしろ発症率は高くなると想定すべきだった」ともいう。

 

 その理由として、アメリカでの多くの例がすでに高い発症、死亡率を示していたこと、HIVと同種類に属するウイルスの例からみて発症率は非常に高かったこと、また潜伏期間が何年にもわたるほど長いということは発症率が低くなるのではなくむしろ高まることを意味すること、などをあげた。

 

 松村氏および厚生省は非加熱濃縮製剤が多数の感染者を出し、高い率で発症者を出すことを十分に警告されていた。その実態が、研究費の支給を受けていたいわば身内によって明らかにされたのだ。