病院給食ナンバーワン企業

草創期から参入し、病院給食ナンバーワン企業に成長した「ワタキューセイモア」

 「病院給食」の草分けは、『日清医療食品』である。同社の親会社は明治5年創業の『ワタキューセイモア』。もともと製綿業者としてスタートし、終戦後の昭和25年に綿久製綿として布団綿の製造販売を開始。

 昭和37年に旧厚生省が、「病院基準寝具制度」で外部委託を許可すると同時に綿久製綿は「病院基準寝具業者」として認定され、ワタキューグループは、この時点から医療関連分野へ本格的に進出した。

 この年、基準寝具事業部を分社化し、ワタキューセイモアの前身である綿久寝具を設立。同社は現在、医療用リネン類と各種業務用品の販売・リースを行っている。

 綿久寝具は、当時「病院給食」の評価として定着していた、「遅い、まずい、冷たい」という問題を企業としてビジネスチャンスと、捉えていた。

 病院食はまずいという評価に対して、当時の日本医師会・武見太郎会長(故人)は、昭和47年に(財)日本医療食協会を設立し、「病院給食」の確立と改善に乗り出した。

 この財団の初代理事長には、旧厚生官僚が就任。綿久寝具は医療機関向けに寝具と給食両方の同時事業化に乗り出した。

 ただ、その直後に、貸し布団やシーツの洗濯を行っている会社が食事を扱うのはイメージがよくないという考えから、同年、新たに設立したのが「日清医療食品」だ。

 日本医療食協会が開発した医療食の大部分は冷凍食品だったが、これをメーカーに作らせ、日清医療食品や商社が病院に販売するという仕組みを採用したのだが、医療機関で採用するところは少なく、スタートから大きな壁にぶち当たってしまった。

 医療機関にすれば、そもそも「病院給食」は、医療や診療行為と連動しており、栄養士の管理のもとに作られるものであって、外部から運んで来るものではないという考えが根強かったからだ。

 昭和53年に診療報酬が改正され、一日の使用食材の中で、「治療食」(医者が病状や治療目的に応じて作成する「食事箋」に従って作る食事)を一定基準使用すれば点数加算が行われることになった。これが引き金になり、日本全国の医療機関で「病院食制度」は採用されていった。

 病院給食の外部委託が解禁されたのは、前述した昭和61年だったが、その時点で、日清医療食品はすでに寝具類の納品関係から日本中の病院に対して営業網を持っていた。この結果同社は、病院給食業務の外部委託が解禁された後、他社に先駆けて一気にシェアを拡大することができ、「病院給食」のナンバーワン企業に成長していくのである。