毎日新聞に抗議、厚生官僚の厚顔

 薬害エイズ問題に最も早い時期から取り組み、良質な報道を続けてきた『毎日新聞』に厚生省が抗議した。

 

 事の顛末は一九九七年版の『厚生白書』の薬害エイズの部分から「菅厚生大臣が国の責任を認めたうえで、患者、家族の方々に心からお詫びした」との文章が消えたと、『毎日』が報道したことに始まる。『毎日』は、前年の白書に記されていたこの一文が今年になって削られたのはおかしい、「国の責任」は一年限りかと問題提起したのだ。

 

 対して厚生省は「菅厚生大臣の謝罪と国の責任を明記するとともに、厚生省としての反省の姿勢を示し、再発防止のための改革について記述しているにもかかわらず、これにまったく触れず国民に誤解を与える」と抗議した。

 

 そこで問題の白書を読んでみると、和解と謝罪については次のように記されている「菅厚生大臣は、裁判所の所見を真摯かつ厳粛に受け止め、……指摘された重大な責任を深く自覚し、反省して、患者および家族の方々に深Λリ衷心よりお詫びした」

 

 この文章からは、実は最も重要な点が脱け落ちている。それは、魚住裁判長(当時)が所見のなかで明確に指摘した「国に重大な責任あり」との点だ。当時の所見を今、読み返してみると、厚生省(国)は血液製剤の危険性について「十分な情報提供をしなかった」、「代替血液製剤確保のための緊急措置をとらなかった」、「販売停止などの措置をとらなかった」、それが「被害拡大につながった」、したがって国および製薬メーカーには「重大な責任がある」と、たたみ込むようにして「国の重大な責任」を指摘している。

 

 患者や家族の心を救ったのが、まさにこの点だった。長い裁判の過程で、厚生省が決して認めようとしなかった国の責任をきっちりと裁判長が指摘したことは、当然の、しかしこれまでの歴史のなかであまりにも長く無視されてきた正義を実現したとして高く評価された。裁判所から厳しく指摘されたこの点を、厚生省の面々は心に刻み込んで、二度と同じような失敗を繰り返さないための原点とすべきである。

 

 だからこそ白書には「国の責任を認めて謝罪した」との記述はとどめるべきなのだ。「国の責任」と書かずに「指摘された重大な責任を深く自覚し……」と書き直した白書の記述は記述とは似て非なるものである。決定的な文言を抜いたことで、質的に大きく変化した記述になったといえる。

 

 厚生省はこれを「紙面の都合」だと弁明したそうだ。だが白書には、菅大臣の前任者の森井忠良厚相が裁判所の勧告を受けて和解に応ずることを表明したとのくだりが書き込まれている。

 

 もし本当に紙面が足りないのであるならば、この文章を削ればよい。なぜなら森井忠良氏は、裁判所が先に述べたように、国に対してきわめて厳しくその責任を問う所見を出したときに「厚生官僚もよくみると、その時々でできる限りのことをしており、私は彼らによくやったとほめてやりたい」と信じ難くも愚かなコメントを発した歴史に残る暗愚の厚生大臣だからである。

 

 被害患者でなくとも森井氏のあまりの的外れにはいうべき言葉もないが、厚生官僚が森井氏について九七年の白書でも触れたということは、厚生官僚を「ほめて」くれた大臣へのそれなりの感謝の思いか。また反対に前述の菅大臣のくだりを削ったということは、菅大臣へのひそかなる、それだけに深い反発の表われかと、考えざるを得ない。

 

 『毎日新聞』に抗議した厚生省は真の意味での反省がまだ足りないのだ。

 

 薬害エイズをひきおこした欧米諸国では、血液行政を一本化し、責任の所在をより明らかにして薬害再発防止につとめる体制づくりが進んでいる。

 

 片や日本でも、薬務局が廃止されて組織改革は行なわれているが、それが真に薬害再発防止のためかは疑わしい。なぜなら、エイズが問題として取り上げられ始めた八四年から九七年の問に四度も組織改変が繰り返され、この間に厚生省は薬害発生の事実を隠したからだ。また、非加熱濃縮製剤の回収もせずに第四ルートの被害も出した。どこに責任があるのかも不明瞭にしてきた。『毎日新聞』に抗議する前に、厚生省は猛省せよ。       

 

 

読者からのメールで知ったミドリ十字の新疑惑

 

 しばらく前にホームページを開いた。さっそく読者からさまざまな反応をいただいた。そのなかにいくつか、取材に関しての貴重なヒントがあった。

 

 一つは「ウロキナーゼという薬を開発したのはミドリ十字社だった」という情報だ。この情報を追っていくと、薬害エイズを生ましめた構図が透けてみえるある関係にたどりつくのだ。安部英二元帝京大学副学長とミドリ十字の親しい関係である。

 

 謎解きの前に、ウロキナーゼがミドリ十字の薬であることになぜ意味があるのか、薬害エイズ問題で刑事告訴されている安部氏の裁判からいくつかの証言を拾ってみる。

 

 まずかつての安部氏の同僚、宮下秀雄氏の証言だ。氏は帝京大病院の病院長、第二内科の主任教授および第二内科長をつとめていた人物である。安部氏が第一内科の主任教授および第一内科長をつとめていたことからみて両者はほぼ同列の職種にいたことがわかる。

 

 その宮下氏が東京地裁の法廷で、一九八四年当時、HIVで汚染された危険な非加熱濃縮製剤から安全な加熱濃縮製剤に切り替えることができたのは安部英氏だけだったと証言した。{安部先生は第}内科の科長であり、血液研究室の責任者であり、そのうえ血友病治療の第一人者ですから、非加熱濃縮製剤を中止する立場にいたのは安部先生だけです」と宮下氏は述べたのだ。

 

 そして治療方針を決める絶大な権限をもつ安部氏はその権限を行使していた。具体例の一つとして浮上したのがウロキナーゼの投与だ。

 

 「脳血栓の患者に安部先生はウロキナーゼ療法を指示されましたが、神経専門の寺尾先生からウロキナーゼは使い方が非常にむずかしい。副作用も多い。非常に困っていると聞いたことがあります」と宮下氏は証言した。

 

 安部氏の愛弟子だった帝京大病院の木下忠俊教授も、安部氏は定年退職までウロキナーゼ療法を続けさせ、その投与を指示した事例は「数えきれない」と証言した。「(脳血栓の)専門の寺尾先生は、ウロキナーゼは血栓を溶かすには不十分だ、溶かすために大量投与すれば出血性梗塞をひきおこすという意見でした」とも木下氏は述べた。

 

 要は安部氏が専門医の反対意見も無視して脳血栓の治療にウロキナーゼを使い続けたということである。科長の権限は専門医の意見さえ無視できるほど強く、治療方針の決定はまさに「安部氏だけ」が行なっていたのだ。

 

 そのウロキナーゼはミドリ十字の薬剤であることを読者からの電子メールで知り、さらに調べてみると以下のことが判明した。

 

 ウロキナーゼはミドリ十字が大河内賞を受賞した薬剤で、当時ミドリ十字は全国で何度も大河内賞受賞記念講演会を開催していた。大河内賞はすぐれた科学技術を製品化したときに与えられる賞である。ミドリ十字の受賞記念講演会では安部氏が特別講演をしており、当時のミドリ十字の会長で今は亡き内藤良一氏と親しく話している姿もみられている。特別講演を行なえば、当然謝礼も支払われるだろう。

 

 こうした事情のうえに、帝京大病院で安部氏が専門医の反対を無視して定年退職の日までウロキナーゼの投与を指示し続けた事実を重ねてみると、安部氏は患者のために最善の治療を行なうというよりミドリ十字の利益を優先した、そのようにはかったのには安部氏とミドリ十字の親密な関係があったとの推測が説得力をもって迫ってくる。

 

 さらに安部氏は加熱濃縮製剤の開発で最も遅れていたミドリ十字のため、木下氏に対しサンプル検査も行なわせている。サンプルは試験薬の一歩手前の、製造条件も決まっていない未完成状態の薬だ。このような段階でメーカーの新薬の状態を専門医がみてやることは異例中の異例である。「安部先生は内藤元会長と深い親交がありました。われわれのところで研究をして開発に協力しようとしたと思います」と木下氏は証言している。

 

 メーカー密着のこの姿勢こそが薬害エイズを生んだ大きな原因の一つだ。それを示す事例をまた一つホームページへのメールで知ったことになる。感謝しつつさらにメールを待つ次第だ。