再び高まる偏見

 血友病患者の孤立が深まりつつある。全国に三十余りある血友病友の会の組織が、二上二の例外を除いて活動休止の状態に陥り、息をひそめている。

 

 血友病患者やエイズへの偏見が深まりこそすれ解消されていないからだ。

 

 具体例の一つに九州地方のある患者がいる。彼は医師から、HIVには感染していないと告げられていた。しかし、彼の住む田舎の小さな町では血友病患者=非加熱濃縮製剤=HIV感染という構図が人々の心の中に定着し、血友病患者であるというだけで村八分にされている。彼だけではなく、家族全員が小さな町で孤立してしまったのだ。

 

 彼は自分の病気のために家族に迷惑がかかっていることを案じ、単身都会に出て住み始めた。正月も盆も実家に戻らず、町の人々が血友病の子供がその家族にいたことを忘れてくれるように願った。

 

 実家に足を踏み入れることなく、七年がすぎ、やがて八年目に入った。この青年にとってどれほど孤独で寂しい年月だったことだろうか。八年目に入ったときに母親が町中の彼のアパー卜を訪ねてみて驚いた。彼はやせ細り、病で伏せっていた。彼はエイズにかかっていたのだ。主治医が嘘をついていたのだ。

 

 主治医は自分の処方した非加熱濃縮製剤が原因でHIVに感染させた責任を恐れ事実を告げなかった。青年は感染告知されていないために、発症予防の治療も受けてはいない。長年の息をひそめたような生活のなかで、彼の心も体も不当に傷つけられていった。彼は今実家に戻って療養中だが、あまりのショックに精神の安定を取り戻せないでいる。彼は家に戻ったものの、人目を恐れて外出もせず家のなかの一部屋にとどまっている。当然近所の住民は知らずにいる。「秘密」を抱えた彼の家族の町内での孤立感は深まるばかりだ。

 

 こんな現実は、実は探すまでもなく数多く実社会に散らばっている。エイズに対ずる恐れから偏見はエイズ患者に向けられていると多くの人は思うだろう。だが、偏兄は増幅されたかたちで血友病患者とその家族全体に向けられているのだ。

 

 変わらない社会の実態を恐れて、冒頭に述べたように血友病患者たちがいま再び姿を隠そうとしているのだ。

 

 なぜこんなことがおきるのか。

 

 例えばHIVは感染ルートも明確に把握されており、感染力も弱いことなどは明らかだ。HIVは確実に感染予防のできるウイルスである。また、HIVに感染したとしても、今日ではエイズ患者の死亡率が下がりつつあるように、人類のエイズを克服しつつある。またなぜ血友病患者らがHIVに感染するような事態に陥ったのか、その理由と経過を含めて薬害エイズの全体像をよく知れば、血友病患者の立場に想いを寄せこそすれ、彼らを村八分にしようなどとはとうてい思わないだろう。

 

 心と体の両方を病んで自宅で療養を続けている先の青年は、主治医から告知されず嘘をつかれていた。コ一年前の一九八五年三月、帝京大学病院の安部英教授も同じことをしていた。

 

 当時、安部教授の患者がすでにエイズで死亡していたと『朝日新聞』によって報道され、患者たちは動揺していた。安部教授は笥逮、患者会を招集し、全員に対して安心するように呼びかけた。そのうえで、もし希望するなら、これから結婚しようとする人、すでに結婚している人には感染か否か告知しますと述べた。

 

 患者会ではアンケートをとり、ほぼ全員が告知を希望していろとの回答を得て、この結果を会報に掲載した。ところが、これを読んだ安部氏は激怒して会報を回収させた。そして患者の意向に反していっさいの告知をしなかったというのだ。

 

 その結果、発症予防の治療もしてもらえず急速に体調をくずしていった例を私は知っている。妻に二次感染させた例も知っている。同じ過ちが繰り返されているのだ。このような医師による犯罪的な事実とそれがもたらした結果をまず正面からみていくことが、同じ過ちを繰り返さないことにつながる。だが、私たちの社会はあまりにも、その種の知的訓練を欠いているのではないか。

 

 事件が山場を越えたからといって解決されるものではない。断片的な見方は同じ失敗につながる。社会も政治も経済も間題山積の今、これからの日本は、全体像を把握し、継続して考えることが必要だ。